ことなかれ

あたりさわりのない日々の記録

アンパンマンと自我のゆくえ

あのー、アンパンマンなんですけど。

あ、ごめんなさいねアンパンマンの話しますけど。

あのアンパンマンって、こう、人格というか魂というか、

とにかく生命エネルギーみたいなものが顔に集中してるじゃないですか。

汚れたら力が出なくなるし。露骨に弱る。

顔が汚れたとか、ゆとり世代にだって通じない言い訳ですぐに戦線を離脱する。

いや、そんな弱点むき出しで戦うなよって事もあるんですけど。

もうなんかビニール袋的なものを始終かぷってなさいよあんたそこ毎回狙われんだから。

そんでそのビニールに山崎パンのロゴでも載せとけと。そしたらハクも付くだろうと。

あげくそんな自分の命そのものを人に食わせるでしよ。

あのね、それ食べる方も重いよ。

それであとで力が出ないとか言われたら責任感じるわ。気を使ってしょうがない。

あー、まあいいや。それはいいんですけど。

いやよくはないんですけど。

とにかくアンパンマンの人格は顔に宿ってる。

こしあんかつぶあんか知らないけど、だいたいその辺に宿ってる。

で、顔が汚れて力が出なくなったら、新しい顔に差し替えるわけです。

バタコさんが。生命の源であるはずの顔を軽はずみにぶん投げて。

ただまあ、このバタコさんという人は、恐るべき強肩と制球力を合わせ持つ

ドラフトに引っかからないのが不思議なくらいの逸材なので、

確実に新しい顔をアンパンマンにぶち当てる事ができます。

いや投げるなよ、とは思いますが、

とにかくアンパンマンの生命はこのバタコさんの肩にかかっている。

で、新しい顔がこう、びゅーんと飛んで来て、

古い顔を弾き飛ばして入れ替わり、

元気いっぱいアンパンマン!となるわけです。

よかったよかったつって。アンパンチアンパンチ言って。

ね。

いや、古い顔は?

弾き飛ばされた方の古い顔の描写が全然無いんですけど。

それは確かに弾き飛ばされたはずで、それのゆくえが気になります。

だってさっきまでしゃべってた顔でしょ?

思うにアンパンマンの体っていうのはそれ自体に自我はなくて、

記憶だけを保存しておくメモリー付きの乗り物みたいなものではないか。

そう考えると、弾き飛ばされた古い顔にもまだ古い自我が残っているかもしれない。

顔に人格が宿るのならば、古い顔は地面に落ちたあと、

新しい顔が元気に戦う様子を眺めながらゆっくりと朽ちて行くのではないか。

「ああ、これが…死か……」 つって。

かわいそう!古い顔かわいそう!

あともったいない!食べ物なのに!

せめて最後にテロップで「古い顔は後でスタッフが美味しくいただきました」

的な文面を出しておいて欲しい。

だからどうなるわけでもないけども。

せめて。