ことなかれ

あたりさわりのない日々の記録

答えを捨て問いを求めよ

あのー。

インターネットが普及して、どんな疑問も検索すればすぐに

答えが出てくることが当たり前になってしまった僕たちは

次第に思考する時間が短くなっていって、

想像力というものが失われつつあると思うわけです。

これは急激に膨大な情報に触れたためにおきた中毒症状みたいなもので、

あるタイミングで自浄作用が働いて収まっていくと思っているのですが。

様々な物事にいちいち批判が集まるのも、想像力の欠如が根底にあって。

ニュースとか誰かの書き込みなんかの断片的な情報だけで、

自分が飲み込みやすい形の結論を得て、その時点で思考停止。

反証もせずに批判しているケースがほとんどのように見えます。

だいたい批判なんて、断片的に見なければできたもんじゃないでしょう。

だから批評家は意図的に、ひとつの技巧として物事の断片を切り取るのだろうけど。

世の中の出来事の多くには正解なんてないし、

いい面わるい面あって人によってその比重も違う。

だからもう「答え」を消費するのをやめたらいいんじゃないかと思う。

そろそろ疲れてきてるでしょう。

「答え」ばっかり追うのは窮屈で、疲れるんだよ。

であるからしてこれからは

優れた「問い」を持つ者が勝つよー。

という事を言ってみたいのです。

言ってみたいなーと思うのです。言えたらなーって。

「答え」ではなく「問い」に価値が生まれる。

質問系のコンテンツが流行りだしたのもその準備というかね。

「問い」には必ずしも答えがなくてもよくて。

いかに良質な思考時間を生み出すかが重要。

心地よくのびのびとした思考が提供できる優れた「問い」に

人が集い、市場が生まれます。

そんな世の中がやってきます。

思考することは本来楽しいですから。

ということを、誰かに言えたらいいのになーって。