なぜ若者は行間を読まないのか?
まったく最近の若者はー。
なんてのはいつの時代も年寄りのひがみ根性として言われ続けているし、
詮無いものだからあまり口にするもんじゃないよね。
そういうこと言わない大人が、やっぱ良いよね。イケてるよね。つって。
まあ、そういうあれなんですけど。
ただまあ、なんだろ。話がね。まー、通じないよね。若者と。
結構長いことしゃべっても全然伝わってない。
3分の1も伝わらない。純情な感情が。壊れるほど愛しても。
いや、壊れるほど愛したらさすがに伝われよ!なんだよ!
じゃあもうどうすればいいんだよ!わー!
つって、まあいろいろ悩むことも僕にだってあるのですが。
どうやら僕と今の若い子の間で、
コミュニケーションの性質ががらりと変わってしまったような気がします。
同じ言葉を使っているのだけど、
その挙動、効用が僕の知っているものではなくなってしまった。
とかく若い子は行間を読まない。
あえて言葉にしていないような情報までは拾ってもらえないので、
こっちが2説明して8は察するのが当然みたいな話し方をすると、
結局まるで伝わっておらず、後で愕然とすることになります。
これは向こうに言わせればちゃんと10説明しろよバカかよ!ってことなんですけど。
そこはほら、こっちも大人ですから、辛抱強く語りかけるしかなくて。結果、
うっせー!バーカバーカ!!
と罵り合う毎日です。
ね。
あー。例えば桃太郎の話を伝えようとするじゃないですか。
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● 昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいてね。
○ え。(ちょ、情報少なすぎだろ。)
○ はい。(いつで、どこだよ。だいたい何歳からお爺さんお婆さん?)
● それで、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行ったわけ。
○ え。(ええ?山?どこから山がでて来たんだ?ちょっと立地条件が見えないな。)
○ まあ、はい。(川もあるっていうし、キャンプ場みたいなとこかな?)
● お婆さんが川で洗濯していると、川上から大きな桃が流れて来て。
○ ああ・・・。(洗剤を川に流すのはダメだと思う。キャンプ場でやったら怒られるぞ。)
● その桃をお婆さんは持ち帰って、お爺さんと割ってみたわけ。
○ ・・・はい。(なんで?川に流れてた桃を?そんな飢えてんの? )
● そしたらなんと、中から元気な男の子が飛び出して来て。おぎゃーおぎゃー言って。
○ はあ。(・・・ダイナミックな捨て子だな。)
● それで、喜んだお爺さんとお婆さんは赤ん坊に桃太郎と名付けて大切に育てたんだけど。
○ えー。(拾った桃食うような奴らが育児を?キャンプ場で?)
○ なるほど。(あとネーミングセンスが異次元なんだが。)
● やがて桃太郎は立派に成長し、いろいろあって鬼退治に行く事になりました。
○ ああ。(だから何食って生きてんだよ。芝かよ。芝食って生きてんのかよ。)
○ なるほどですね。(キャンプ場で鬼ごっこしたい気持ちは分かるけど。)
● 旅に備え、お婆さんは桃太郎にきびだんごを持たせました。
○ はいはい。(それ食えよ!芝食ってないでそれ食えよ!)
● 道中、桃太郎は犬、キジ、猿と出会い、きびだんごをあげて仲間にしました。
○ ああ。(野生動物に餌付けしちゃいけないと思う。いよいよキャンプ場の係員に怒られるわ。)
● 鬼ヶ島で鬼と戦った桃太郎は、犬猿キジの活躍もあって無事鬼を退治。
○ はぁ。(島?島あんの?海沿いのキャンプ場かな?)
● 金銀財宝を持ち帰って、みんなに喜ばれたとさ。めでたしめでたし。
○ なるほど。(財宝?それ持ち帰っちゃダメだろ。セキュリティどうなってんの。)
● 何か質問ある?
○ えー、あの、芝刈り?ですか?それがイメージできませんでした。知らないワードだったので。
● あー・・・。うん、分からない事があったらすぐ聞いてね。
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という具合でらちがあかない。
話が平行線のまま一向に交わらない。
このすれ違いの原因を生み出しているものは何か。と考えると、
どうもSNSでのコミュニケーションが疑わしいと思ってます。
最近の若者は多くのコミュニケーションをSNS上で行っていて、
電話とか、長文のメールなんかもしなくなってるじゃないですか。
SNSでのコミュニケーションって、短い言葉の応酬になるんですが、
一度投稿したものがいつ相手に見られるかは分からないので
おのずと、文章の前後関係から推察しなければ伝わらないような表現はやめてしまうんですよね。
時間的連続から切り離された言葉に過剰な意味や感情を含ませると
誤解の原因になるし、精度も低くなるので
言葉以外の感情的情報は絵文字やスタンプで補うことになる。
この絵文字やスタンプって、いわばジェスチャーでしょう。
ほら、英語で話す人ってジェスチャーを多用するじゃないですか。
英語は表音文字でできていて、発音が意味の全てなので
言葉を発声によって正確に伝える事が重要で、
それに紐づく周辺の感情的情報はジェスチャーによって補われる。
一方漢字を使う言語は表意文字の特性上、発声は文字を引き出すためのキーに過ぎない。
そのかわりひとつの文字に多数の意味が含まれているので、
前後関係から推察して取捨選択する必要がある。
つまり、行間を読む。
これがSNSの登場によって現代の若者の中で薄まりつつあるのではないでしょうか。
なにしろ日本語にはひらがなカタカナという立派な表音文字も用意されているので、
この変化に対応するのはわりと容易です。
で、
こっちが漢字で喋ってるのに、向こうはひらがなで受け取るもんだから
途中でほとんどの意味をこぼしてしまい、
結果空のうつわだけをやり取りするような空虚な会話が生まれてしまう。という。
これ、そういう時流だっつーことならば、もう仕方がないので、
自分の方でもなるべく意味を音で伝えるような話し方に
変えていかないといけないのかなあ。と思い始めてます。
難儀な事です。
あ。そう言えば昔、上司からのデザイン指示で
「シャラララン!とした感じにしといて」というものがありましたが、
恐ろしいことに当時の自分にはだいたい意味が分かったのでした。