日本人は下位分類好き
日本人って、大きなものを分類するのは不得手なのだけれど、
小さいものをさらに細かく切り分けて行くのは大好きじゃないですか。
下位分類というらしいんですけど。
ガラケーとか最たるものだと思うんですけど。
基本同じものなのに、ちょっとずつ違う機能を盛り込んで
多彩なバリエーションを作る。
機能がほぼ同一でも無数のバリエーションから選びだす事で
なんだか自分らしさを見つけたような気持ちにまでなってしまう。
車もそうで、
日本車って中身おんなじでもガワを変えたりチューニングを変えたりしたものに
いろいろ工夫を凝らした名前をつけて別のものとして売り出してしまうでしょう。
外車なんてクラス名と数字の組み合わせしか使わないのに。
この気質って、太古より培われたものだと思うんですよね。
源氏香とか。
お香の香りのちょっとした違いに洒落た名前をたくさんつけて、
それらを組み合わせたものを嗅いで中身を当て合うという、平安時代から続く遊びですけど。
「5種の香をそれぞれ5包ずつ計25包作り、任意に5包を取り出してたき、香の異同をかぎ分ける」
て。もう別にどっちでも良くなりそうなものだけど、
こうした微差の中にこそ深遠なる小宇宙を見いだすのが日本人の気質なんじゃないでしょうか。
なにしろ今見ても超カッコイイからね。源氏香の図。
とにかくコマコマした違いが好き。
対して大きな違い、上位の分類には頓着しない。
それは自分が判断する事ではないというか、
どこか自分の知らないところで決まり切った何かであって、
気にしていてもしょうがないというような感覚がある。
暗黙の了解。推して知るべし。
要するに
上位分類 = たしなみ
下位分類 = いき
というように生活様式の中に自然と染み付いているように思います。
この気質って、最近では合理性に欠けるという観点から悪く言われがちなんですけど。
iPhoneにいろんな形のカバー付けたりして。
本来の機能性を損なうとか、設計思想に対する蹂躙だとか。
でもなんと言うか、そういうところに日本人の美意識って集約してて、
それはそれで捨てちゃいけないものなんじゃないかとも思います。
市場的には、多様性の時代が終焉を迎えつつあり、
ユーザーのニーズも成熟し、画一化されて来た感のある昨今ですが、
そんな中でも僕たちは、細かな違いにいちいち名前をつけて、
思い思いに愛でてゆくに違いないと思うのです。
もー、激オコぷんぷん丸ぞえー!つって。
言わないけど。