ことなかれ

あたりさわりのない日々の記録

ペルー&ボリビア記

あの、ペルー&ボリビア旅行に行って来たんですよ。

南米の。なんかこう、遺跡とかいっぱいある。

もう、思ったよりあるから。

自販機感覚で気軽にあるから。ないけど。でもそれくらいの勢いあるから。

3000年前とかの。すごい、普通に道路っぱたにあるから。

いーなーつって。

ほら、日本の古いものってみーんな木でできてるもんだから、あんま残ってないよね。

縄文土器までさかのぼらないと。まあ縄文土器はよくやった。

あれ土器界でも結構いけてる方。

中国文明に圧倒される前によくやってた。

なんか縄の模様カッケー!って思った古代日本人の感覚、好きだね。

ただ南米は、ハンパねーですよ。スペインに占領される前までの文明たるや。

インカ帝国とか、マチュピチュ作ったりして。

あれ、すげー山の上にあんだけど、水路とかちゃんとあって。

トイレとか水浴び場とか部屋の中にあって。

まわりの山々のミニチュアとか置いてて。リゾート感すごい。

実際インカの人がリゾート感覚で来てたって言う。

リゾートに命かけてる感じ。

金とかいっぱい取れるもんだから、

偉い人の家とかいちめん金だらけだったらしい。

その金も、別に、金銭的価値はなくて。

キレイだからつーかお!くらいの感覚で使ってるから。

スペイン人が来たときに山ほどあげちゃった。

(王様人質に取られてたからだけど)

その感じ、ゾクゾクします。

アフリカで生まれた人類が最後にたどり着いた大陸で、

それまで様々な困難を乗り越えたであろう勇敢な人々が

永久の住処として築いた文明はとても美しいのでした。

 

 

 

以下、興味の無い人にはさっぱりな旅行記です。

 

 

 

ペルーへは直行便が無いため、アメリカダラスでトランジット。

そこからペルー入りし、リマからクスコへ。

クスコで現地ガイドと合流して観光。

ここでのガイドはなんと18歳の女子大生でした。(おばあちゃんが日本人だとか)

クスコはインカの首都だったんだけど、スペイン人に占領されて

インカの遺跡の上にガッツリ教会立てられちゃった、いろいろ複雑な街。

下半分がインカの遺跡で、上半分がスペインの教会という。

昔の人の豪快さをうかがえる。

クスコ / サント・ドミンゴ教会 。インカ&スペイン合作。

 

※南米を支配していたインカ帝国の皇帝アタワルパ率いる8万の軍勢と、

 スペインはピサロ率いるたった200人弱の征服者(名目はキリスト教の布教)との

 出会いから征服までの流れは凄まじいものがあります。

その後、マチュピチュへ。

マチュピチュは麓にけっこうイケてる村があって、

ホテルとかもたくさんある。ここで泊まったインカテラホテルは素敵(★★★★★!)だったけど、

時間の都合でほとんど寝ないまま動き回ってました。

時間があったら立ち寄りたいお店がいっぱい。

夜でも子供が遊び回るマチュピチュ村。

インカテラ マチュピチュ。突如現れる嘘みたいな素敵ホテル。

  

 

マチュピチュは言わずと知れたインカの遺跡。

あんまり山の上にあるので、スペイン人も気付かず、そのままの形で残ってます。

隣にあるワイナピチュという聖なる山にどうしても登りたくて朝から並びました。

1日400人しか登れないという入場制限付きなのでヒヤヒヤしたけど、

ガイドさんの手腕もあってなんとか登頂。すげえぜ18歳。

急斜面な上、標高が富士山と同じくらいなので息が切れます。

ワイナピチュ入山待ちの列。

まあまあアレなところもあるので

国内のツアー会社だとワイナピチュ登山できないところも多い。

定番のマチュピチュショット。

 

 

その後、再びクスコに戻って、ネズミの肉を食べたりしたのち、

若きガイドと別れてボリビアへ。

新たな現地ガイドと合流し、ラ・パスに滞在。ここは空港から既に4000m超の高所にあり、

空気が薄いのでホテルでは酸素タンクが渡され、5分間隔で吸うように言われました。

まあ、日本から高山病の薬を飲んで行ったので大丈夫なんですが、

たしかにちょっと息苦しい。

ラ・パスの街。真ん中が都市部で、外に広がるにつれ貧民街に。

 

 

ラパスの中心は日本と変わらない大都市で、凄い人の数。

多分休日の渋谷と同じくらい人がいるんだけど、

ちょっと車で走ると、とたんにレンガ作りの貧民街に。

貧富の差がものすごい狭い範囲で現れます。

夜でも人通りの多い都市部から山の貧民街がよく見える。複雑。

 

 

その後、ウユニへ飛行機で飛び、ウユニ塩湖に。

ここでも新しいガイドさんに代わったのだけど、この人は日本人でした。

なんでボリビアででガイドをやってるのか聞いたんですけど。

これがなかなか壮絶で。

なんでも南米を女一人で旅していたら、ラ・パスでクーデターに遭遇し身動きが取れなくなった。

日本大使館への道はゲリラに占拠されてるし、助けも来ずで。

おまけに親の意向で全財産をJAL株にしてたら、破綻して紙くずになり。

それ以来こっちでガイドをやってるって言う。

なにそれ!

日本政府なんとかしろよ!

まあ、今は現地の方と結婚し、日本語教師をやりながらガイドしてるらしいんですけど。

話も上手でとっても良い人でした。

ウユニ村の人からも名前で呼ばれてて信頼も厚い。カッコいいなあ。

ウユニで最初に案内してくれた食堂。あふれる地元感。

村は小さいながら清潔感がある。時計は動いてないけど。

小学校もあって、子供はみんななにかしらファンシーなものを持っている。

その方にガイドしてもらったウユニ塩湖は。

まあ、なんていうんだろう。

最高としか言いようのないところでした。

一面塩で真っ白の大地が延々と続きます。

四国の3分の2の面積が全部塩の大地らしいので、車でいくら走っても風景かわらず。

現地の人は遠くに見える山の位置で方角を確かめて走るらしいんですけど、

素人がGPSなしに迷い込むと気が狂うと思う。

なにしろいくら行ってもどこにも着かないし。

まあテント背負って自転車で走ってるフランス人は見かけましたが。

相当な気合いが必要です。

ウユニ塩湖。心細くなるくらい広い塩の大地。

抜き身で日が沈むところも見れる。

日が沈んでも遊べます。

今は乾季なので水は張ってませんが、おかげでずっと晴天に恵まれ、

満天の星空を眺める事ができました。

ウユニ塩湖のほとりにある全部が塩でできたホテル「ルナ・サラダ」に宿泊。

壁も床も全部塩です。塩が無限にあるもんだから、建材に使ってるという贅沢さ。

全部が塩でできたホテル「ルナ・サラダ」

塩ったら塩。

地球じゃ無い感。

急に地球感。ガイドさんも初めて見たという塩湖に浸かる原住民。バスソルトいらず。

乾季にしか行けないサボテン島ことインカワシ。

 

 

その後、日本人ガイドさんと別れてラ・パスに戻り、ラ・パスの現地ガイドと再会。

インカよりずっと古いティワナク遺跡へ。

ティワナクは南米で2000年以上続いた文明で、石器文化に収まらず

金属まで使ってたっていうオーバーテクノロジーぎみのごつい文明。

彼らがインカに技術を伝えたというくらいのえげつない人たちです。

ただ残念ながらボリビア政府にお金がなくて、あんまり守られてないんですが。

遺跡は本物です。雨ざらしなのでもうちょっと大事にしてほしい。

太陽の門が有名。

ティワナク代表、太陽の門。

 

 

ここでも現地のガイドさんと話し込みました。

もはや観光そっちのけでガイドさんの事を聞くのが趣味になりつつあります。

なんでも日本の大学で農学勉強していた方で

宇都宮で3.11も経験したらしく、原発の汚染水の流出を心配してました。

いろいろ心配かけて、なんかすみません。

 

 

そんなもろもろを経て、

飛行機&トランジット待ちで片道2日かけて日本に戻ってきました。

まー、南米とにかくおもしろかった。

スペイン語が片言話せればどこでも通じるし。

また行きたいなあ。

ちなみに車はトヨタ、家電はほぼサムスンかLGでした。

トランジットで寄ったダラスのホテルでもモニタがサムスンだったから、

日本の家電はとっくに淘汰されてると思っていいのではないか。

うーむ。