ことなかれ

あたりさわりのない日々の記録

格差と正義

いやね、

いま地震じゃない話しても誰にも刺さらないじゃないですか。

なんかエンタメ系が軒並み自粛してるのは

今情報をリリースしても刺さりが悪いから

時期を見てるっていう側面もあると思うんですよね。

利口な人は空気を読む。

どうも、空気が読めるまでは動かないでおなじみササガキです。

そんな事よりハーバード白熱教室って面白いよね!

みんなもそう思うでしょ?分かる分かる!

ハーバードで行われている

マイケル・サンデルさんの政治哲学の講義。

DVD買ってちくちく見てるんですが、

この前見たやつは「公平性」の話でした。

今、我々は公平の上に立って生きていると言えるのか?

という話で。

学生の1人が主張するには、

自分たちは自らの努力と感性でハーバードに合格し、この授業を受けている。

その度合いが人より勝っていたからで、

同じように努力すれば誰にでも少なからずチャンスがやってくる。

努力の前に人は公平なのだ。と。

これに対してサンデル教授は、

「ここにいる中で自分が親にとって最初の子供だという人は挙手してください」

と切り返します。

すると生徒の大半が手を上げることに。

ハーバード大学の教室にいる8割以上が第一子という事実は、

果たして公平正を示しているだろうか?

これには教室内に戦慄が走るのを感じました。

サンデル教授は授業の最初に

哲学は、社会や個人の性質を疑う行為であり、

それは時に恐ろしいものだ。

ということを言っていて、なるほどなーと。

今回も思った次第です。

 「人生は公正ではない。人は、政府が自然の引き起こすことを

  修正できると信じる誘惑に駆られる。」

  / ミルトン・フリードマン(アメリカの経済学者 1912-2006)

立場や財産の格差(分配の不均等)は抗しがたい自然の事実であり、

正義や不正義はそれらを扱う方法の中にこそある。

ということらしい。

格差を扱う方法の中の正義とは、その格差を埋める方向に働くこと。

つまり持つ者は持たざる者を補うためにその力を使うべき。

と。

まあ僕の解釈なのでちょっと違うのかもしれないけど。

とかくそういう考えの中に

↓この話の最後の一節を受け止めるヒントがあるのではないか。

「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。 」

 

いや、ないかー。