ことなかれ

あたりさわりのない日々の記録

映画レビュー

映画をね。ちょっと見ましたよ。

週末は基本仕事が入るもんだと思ってできるだけ空けてたりするんですが、

まあ、なんにもない事もままあって。

したらなんか、なんかしなきゃって、焦るじゃないですか。

いい大人が部屋でじっとしてるわけにもいかない。

それで、映画館に逃げ込みます。

あー、なんかした感あるなー、よかったよかった。つって。

だましだまし生きています。ササガキです。

最近、ブログで映画のレビューを書くとモテると聞きました。

そんな、よこしまな気持ちとかはありませんが、できればモテたいです。

おくりびと

いやー、おくったなー。おくったおくった。

もしかするとおくるのかなーって思ったけど、やっぱりおくったよね。うん。良かった。

そういえばハリウッド映画では納棺ってあんまり描かれないですよね。

死んだ!と思ったら次のシーンではもう棺桶に花が投げられている。

辛気くさいシーンは極力減らしてもっと爆発とかをさせたい。

CGとかをガンガン使いたい。

旬の美女を使ったラブシーンでお茶の間をやきもきさせたい。

それなのに日本人と来たら納棺だけを使って映画を撮るなんて!

しかも火葬ってそうやるんだ!すげー!なにそれ!

みたいな所があったのかなかったのか。

とにかくあの良さが外国の人たちにどのように伝わったのか興味あります。

で、広末涼子はなぜWEBデザイナー

「スラムドッグミリオネア」

もう、なんだろう、カメラワークがすごいことになっています。

そんで、インドのスラム街は、アレですね、もうこれ以上散らかせない。

芸術的とも言っていいくらいの散らかりの極致で、

そこをおよそ何視点なのかわけの分からないアングルでキレキレにカメラが動き回ります。

ちょっと狙い過ぎじゃないかっつーくらいなんですけど、

まあ、それそのものがスラム街的でなんかよかったです。

きっと現地の撮影スタッフじゃないと撮れないのだろうことを鑑みると、

製作のイギリスチームが最後にアノ演出をさせられる心意気を持った人たちでよかった。

ちゃんとインド映画として終わります。それはそれで清々しいことで。

えーと、ミリオネアパート。あの司会者、なんなの?

「ラースとその彼女」

突然人形を彼女として連れ回し始めた気弱な青年を、

周囲の人たちがそれぞれのやさしさでやーやーしたり遠巻きから見つめたりする話。

いやー、やさしい。

みんなやさしい。最後までちゃんとやさしい。

やさしさが正しい形を取る事って案外少ないのかもしれないけど、

でもそれを行使する事って大切で。

例えばそれは、相手の手を引いて食事に誘う事かもしれないし、

黙ってそばで編み物を編む事かもしれない。

それ自体は何かを生み出すわけじゃないのだけれども、

その事でいつしか自分も救われたりする。かも。

しないのかも。まあいいじゃない。的な。

ドーン!とかバーン!とかないけど、なぜか心に残る映画でした。

しかしボウリング場を切ないシーンで使うのは鉄板なのか。

まあ、あれですね、僕なりの鋭い視点で分析した所によると、

みんながいいと言う映画は、たいがい、いい。